Top Leader Interviewトップリーダーインタビュー
日本の温浴ビジネス業界をリードする
万葉倶楽部 株式会社
代表取締役社長
高橋 理 氏
TAKAHASHI MAKOTO
1964年生まれ。90年、日本ジャンボー㈱へ入社。2010年、万葉倶楽部㈱の副社長を経て、12年、同社代表取締役社長に就任。全国温浴施設協会副会長。熱海市出身。
1997年に東京都町田市に最初の温浴施設を出店し、以降、全国に11施設を展開するほか、グループ会社に複数のホテル・商業施設をもつ万葉倶楽部㈱。2024年2月には、東京都の豊洲市場に隣接する「豊洲 千客万来」をオープンし、さらなる注目を集めているが、創業当初は業界でも確固たる地位を築いていた写真事業者だった。12年に先代からバトンを受け継いだ2代目の高橋理社長に、温浴事業の沿革や経営環境の変化、今後の課題について伺った。
(静岡経済研究所「調査月報6月号」より転載)
■東京都江東区の豊洲市場に「豊洲 千客万来」をオープン
当社は、2024年2月1日、東京都の「千客万来施設事業」の事業者として、江東区の豊洲市場に併設する「豊洲 千客万来」をオープンしました。当社の11番目の温浴施設「東京豊洲 万葉倶楽部」と、江戸の街並みを再現した食楽棟「豊洲場外 江戸前市場」の2つで構成されています。
縁あって公募に手を挙げたのは、まだ舛添都知事の時期でした。そこから移転問題があり、コロナ禍があり、物価上昇で建築費も高騰するなど難題が多く、紆余曲折ありましたが、豊洲市場の関係者や地元の方にも助けていただきながら、苦節9年、なんとかオープンまで漕ぎつけることができました。
当初の予定より5年以上遅れましたが、結果的にはコロナ禍を跨いでオープンできたことは幸いだったと思いますし、テレビをはじめ多くのメディアが注目施設として取り上げてくださっています。
本当に多くのお客様に足を運んでいただき、商業施設の方は応対の手が回りきらないような状況で、計画以上の集客です。特にオープンした2月は、中国の旧正月と重なったこともあって、こんなにインバウンド客が多いのかと驚きました。足元では少し落ち着いてきましたが、それでも4割くらいがインバウンド客でしょうか。
人数自体もすごいのですが、お金の使い方も勢いがあります。いまお越しになっているインバウンド客の多くは、FIT(Foreign Independent Tour)と呼ばれる、パッケージツアーや団体旅行を利用しない、消費単価の高い方々です。一部のマスコミやSNSでは、食楽棟で提供されている1食5千円以上の高級海鮮丼が「インバウン丼」などと面白おかしく取り上げられていますが、確かに日本人の感覚ではなかなか手が出せない価格設定です。しかし、FITの方々にとっては、海外の物価高や現在の円安の影響などで、おそらく2~3千円くらいの感覚でしょう。それで、高級なウニやマグロが、たくさんのっているわけですから、彼らはそれを食べて満足して帰るわけです。一方で、日本人は写真だけ撮って帰る、という状況を目の当たりにしますと、考えさせられるものがありますね。
いまは、インバウンド客が好調で、多くの観光客にお越しいただいていますが、ずっとこのままでよいわけではありません。50年という長い事業期間ですから、やはり地域の方の支持も必要になります。日常遣いできる施設にするため、すでに次のリーシングや、余剰食材を安価で提供するマルシェの開設などの検討を始めています。オープンして終わりではなく、次の日からすぐに改善していく。この施設に限らず、すべて現場に任せて安定稼働させるには、5年くらいはかかると思っています。
■ご縁を紡いで事業を展開。異業態でも変わらない本質
1957年に、先代が熱海市で酒屋の家業の傍ら写真事業を始めたのが当社のルーツで、60年に日本ジャンボー㈱を設立しました。その後、カラー写真の市場拡大に伴い、静岡県内にとどまらず関東や大阪にも現像所・営業所を構えるようになり、91年には株式の店頭公開に至りました。温浴事業を開始したのは、ちょうど写真事業が最高潮を迎えていた97年です。
当時、デジタルカメラが世に出始めた時期で、最初は大したことはないと思っていたのですが、日進月歩で次第に脅威を感じ始めたことが背景にありました。 そのタイミングで、東京都町田市の不動産を紹介されたのがきっかけで、日本ジャンボー㈱の子会社として万葉倶楽部㈱を作って、温浴事業を始めました。実は豊洲もそうなのですが、当社の場合、入念なマーケットリサーチの結果というよりは、ご縁を紡いでいったらこうなった、ということが多いですね。
これは町田が最初だったというのがポイントで、東京の温泉は、関東ローム層ですので茶褐色なんです。しかし、私たちは熱海や箱根のような、透明な単純泉に親しんでいるので、茶褐色の温泉には違和感がありました。漂白するという手段もありますが、それも望ましくないということで、では運んでいったらどうだと検討を始めました。
温泉施設は、作ったら終わりではなく、その後のメンテナンスにもコストがかかります。そこまで含めると、湯河原の源泉から車で運んでも大きくコストが変わるわけではありませんし、運搬中は宣伝にもなるということで、温泉を運ぶ手法を採用しました。
町田1号館の当初の売上高は、規模こそ大きくありませんでしたが、しっかり利益が確保されていました。それで、2000年には小田原市に2号館、01年に福岡市に3号館と事業を拡大していき、豊洲で11施設目となりました。
一方、日本ジャンボー㈱は、2008年にMBOを実施して、上場を廃止しました。その後、一度万葉倶楽部㈱と合併し、逆に写真事業を子会社に切り出して、温浴事業がメインの現在の体制となりました。
確かに商売としては違いますが、ただ、やっている本人たちからすると、実はあまり変わっている気はしていません。
かくいう私も、つい15年くらい前までは写真事業の技術系で、工場のプログラムなどをしていましたから、温浴施設や商業施設の運営をするようになるとは思ってもみませんでしたし、そういう経験もありませんでした。ただ、写真事業も、旅行したときに撮ったものがどんなふうに写っているのか、という楽しみをお預かりしている商売だという認識でしたから、お客様が中心にあって、いまどんな物やサービスを欲しがっているのか、どうしたら選んで来てもらえるのかということを考えて追求するという本質は同じだと思います。
■価格上昇が避けられない中で顧客の参加率低下をどう補うか
いま、全国押しなべてラックレートという宿泊費の定価が上がっています。コロナ前と比較すると+3割程度でしょうか。
その原因として、先ほども話に出ましたインバウンド客の需要が高いことがよく挙げられていますが、それ以上に根本的な原因は、コストが上がっていることだと思います。
たとえば、私たちが温浴施設を拡大していた2000年代前半、東京都の最低賃金は700円程度でしたし、建築費も坪単価80万円程度でした。それが23年度は、最低賃金は1,100円を超えていますし、建築費もいま同じ見積もりをとれば坪単価150万円以上になると思います。これで、同じ価格で提供するというのは無理があります。
もちろん、自動チェックイン・アウトやバックヤードでの運搬の自動化、キャッシュレス推進による業務負担軽減などの対策は講じていますが、人件費や建築費が上がるスピードにはとても追いついていません。加えて、人材確保も難しくなってきていて、とくに外国人技能実習生の採用は、格段に難しくなりました。渡航費や手数料まで含めると、新卒と同等以上のコストになることもあります。
こうした状況下、当社でも昨年、温浴施設で一律200円の値上げを実施しました。おおむね受け入れていただけたと思いますが、実際、200円値上げしても、人件費で100円、光熱費で100円消えて、食材仕入などの上昇分は、実質的にまだマイナスというのが実情です。
ありがたいことに、消費単価は上がってきています。ただ、単価については、一番単価を伸ばしやすいアルコール類に頼っていくことが、中長期的に難しくなるという課題があります。
というのは、比較的お酒を多く召し上がってきた団塊の世代が市場から抜けていく代わりに、あまり召し上がらない若い方が入ってくるからです。単純に人数も見合いませんし、消費動向もまったく異なります。当社に限らず、飲食業界全体の大きなテーマですね。
価格の上昇は避けられないでしょうし、そうなった場合、いままでご来館してくださっているお客様の参加率低下を招きます。もちろん値上げを最小限にとどめる努力も大切ですが、それ以上に、そこをどうやって埋めていくかが重要です。インバウンド客で埋まればよいのでしょうが、いつまで続くかわかりませんし、町田1号館のように、インバウンド客を呼び込みにくい地域や施設もあります。
アルコールやインバウンド客に頼らず、安定して落込み分を埋めていくためには、やはり旬の食材をタイムリーに提供するなどして、おいしく召し上がっていただき、別のお客様を連れてリピートしてもらうということに尽きるのではないでしょうか。
たとえば、長野県の川上村のレタスはブランド価値が非常に高く、おいしいことで評価されています。もちろん、品種や気候の影響もありますが、朝収穫したものをその日のうちに出荷しているというところがポイントです。私たちが普段食べているものと鮮度が全然違いますので、まるで別物のように感じます。また、とうもろこしなども朝採れかどうかで糖度が3割くらい変わるといわれています。
そういう鮮度が大きく物を言う生鮮品をはじめ、価値ある食材を提供するためには、仕入れや食材開発を自分たちでやっていく必要があります。さらに、食材の旬は通常1週間程度で終わってしまいますので、年間通じて提供するためには、こうしたメニューを52個用意しなければなりません。
そうやってなんとかパーツを集めて、集合体としてご満足いただけるよう、努力を重ね、変化を続けるしかないというのが結論だと思います。
■小さな学びや改善を積み重ねて100年続く企業に
定例の業績会議や役員会議がありまして、私は、いまでも毎月、11施設すべての現場の会議に出ています。会議自体は業績報告や事例共有など、1時間程度で終わりますが、その後の懇親会の果たしている役割が大きいかもしれません。サービス産業は人が財産ですが、特性上、土日や正月も仕事があったり、当然残業もあったりします。かといって、他産業に比べて給料が特別高いわけでもありません。その中で、社員に仕事の楽しさや、生きがいを感じてもらいながら働き続けてもらうには、仕事を任せ、権限委譲をすることはもちろん、意見を吸収したり、成果を適切に評価することも重要です。懇親会は、日頃の労をねぎらうだけでなく、会議を経て気づいたことやアイデアをはじめ、いろいろな意見吸収・交換の場にもなっています。
他方で、当社がもっとお客様の真のニーズに応え続けていくためには、女性の経営層への登用が不可欠だと考えています。
LGBTQに関する取組みや、男女平等などの観点も大事ですが、当社の場合は、お客様の半分が女性であるうえ、浴室は男女で分かれていますので、男だけでいくら考えても、女性の浴室でどういうことが起こっているか、何が評価され、何に困っているのかを見ることはできません。おじさんたちが良かれと思う商品やサービスを考えて提供するというのでは、もう生き残っていけないという危機感があります。
ですので、早期に1人、女性の経営陣を登用し、会社の意思決定の場に迎えることが喫緊の課題ですし、ファーストペンギンの後に続いてくれる女性職員が増えることに期待をしているところです。
何気ない日常の中からでも、どれだけ学びを得られるか、言い換えると、どれだけ本気で興味を持てるかが大切だと思っています。
たとえば、仕事で何かを改善したいと思ったときに、それが会議をうまく乗り切るために、という程度ではいけません。本気で改善したいなら、会議が終わった後の生活でもヒントを探し続けるでしょうし、興味を持ったものがあったら一歩踏み込んで調べようとするはずです。学生時代はせいぜい20年ですが、その後にも60年以上の人生があります。その中で多くのことを学び続け、積み重ねていくことが大きな成果や成功につながると思います。 みんなホームランを打ちたがりますけれど、最終的に生き残っていくためには、四球でもいいから出塁して、着々と1点ずつ積み重ねていくことが重要です。先ほどの食材の話もそうですが、1個やってダメなら10個、100個と重ねていくというのが、当社に流れているDNAだと思っています。
私は、創業者でなく2代目ですので、会社を受け継いだ時にはすでに2,000人以上の従業員がいました。その人たちのためにも、日々の積み重ねを通じて、100年続く企業にしていきたいですね。
聞き手 静岡経済研究所理事長 馬瀬和人